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1章 2

Author: 深田あり
last update publish date: 2026-06-14 20:05:53

 師走特有の北風が夕方の空に吹きすさぶ。

 学ランとマントをまとう俺の体に針のごとく突き刺さる圧倒的な寒さ。しかしそんなことを気にせず東京の街並みを全力で突き進んで行った。

 家までは走って三十分。まさにギリギリだ。しかし諦めない。俺は人々の隙間を縫いながら疾駆する。

 往来は夕飯時が迫っているということもあり、主婦や子供たちが談笑しながら買い物し、それに呼応するように様々な店の主人が大きな声を張り上げ、それが東京に活気をもたらしていた。

 うん、つまり彼ら凄い邪魔なんですけどね。まあ仕方あるまい。この困難が俺をより一層燃えがらせるのだ。

 と、その時。道ばたの一角で何やらトラブルが起きているのが見えた。

「む? 何事だ?」

 足を止め、様子を窺うとどうやら軍人あがりと思われるくたびれた雰囲気の男二人が、矢絣模様の袴にブーツを履き、長髪を三つ編みに結った女学生風の女の子に絡んでいるようだった。

「おう姉ちゃん、今俺たちを指してバカにしやがったろ?」

「女のくせに随分と生意気じゃねえか、あ?」

「何をおっしゃっているのかわかりません。その馬面とっとと回れ右してビールでも浴びていればいいんじゃないですか? あ、ビールは高くて買えませんか。失礼」

(わー! 早く謝らないと! 何言ってるの私!)

 ん!? 今毒舌と謝罪を交互に言わなかったか、あの子。

 軍人あがりは眉間にしわを寄せ、青筋をピクピクと浮かせながら女の子に詰め寄る。

「あああっ!? 殺すぞゴラア!」

「最近フェミニズムとかいう言葉が流行ってると聞くが、てめえがそうか。おい横島、こいつやっちゃおうぜ」

「ふん、シベリアではまだ兵隊さんが戦っているというのに、随分ボケた顔をしていますね。北樺太あたりの漁港でカニでも獲ってきたらよろしいんじゃないですか?」

(キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! ああ、凄い睨まれてる。ごめんなさいごめんなさい!)

 まただ。しかも後者の声は少しおかしい。前者は普通に女の子の口から発せられているのに、後者は口が動いていなかった。ちなみに体は完全に緊張で固まっているようで、微動だにしていない。

 手品の類であろうか?

「取り敢えず婦人が絡まれているな。魂《おとこ》として見過ごせん」

「「アアアアッ!?」」

 男たちの叫び声に合わせて俺は駆け、間に割って入る。

「ええい、やめないかお前たち!」

「あ? なんだてめえ?」

「その制服……一高のボンボンかよ。クソが、なんだ? お坊ちゃん。俺たちに何か用でもあるんでちゅか? アアッ?!」

 なんと醜い嫉妬だろうか。おそらく軍でも落伍者だったのだろう。

 それにしても身長百八十を超える俺の体躯を見てよくそんなことが言える物だ。

「俺を一高のひ弱なガリガリどもと一緒するとは……。この俺を鬼横山の再来、白ネック市川と知っての狼藉か!」

「あ? 白ネック市川?」

「白ネック市川……」

 これは俺の柔道界でのあだ名だ。寝技があまりにも凄すぎてよく選手の首に俺の腕が蛇みたいにまとわりつくからこの名がついた。ほら、柔道着って白いから。

「ふふん、わかったらとっとと回れ右して」

「「誰だそりゃ?」」

「だあああ。知らねーのかよ!」

「「知るかボケ」」

 自分の知名度の無さに驚く! 学生柔道界で俺の名を知らぬ者はいないというのに!

 だがこんなことでうろたえてはいかん。俺は気を取り直して後ろにいる女の子に声をかける。勿論歯をきらめかせながらだ。

「まあいい。君、早く逃げなさい。ここは俺に任せてくれたまえ」

「何ですかその気取った口調。かっこつけてるつもりですか? 気持ち悪いですよ?」

(助けてくれた人に何て口利くのよ私! ああ、本当にごめんなさい!)

 ぺこぺこと頭を下げた女の子。三つ編みが風鈴みたいに可愛らしく揺れた。

「ん? この子……今、口が……。いや、いいか。ほら、逃げなさい」

「仕方ないですね。貴方のバカ面に免じて逃げてあげます」

(ありがとうございます!)

 顔を上げ、もう一度改めて一礼すると女の子はぱたぱたと逃げていった。

 それにしても、さっきの口調。

「……なんだったんだ、今の? 口、動いてなかったよな?」

 腹話術の類であろうか。なんとも不思議な子だ。

 と、ちょいちょいと俺の肩をつつかれる。

「おい兄ちゃん。覚悟は出来てるんだろうな?」

「こちとら欧州大戦にも出兵した歴戦の兵隊なんだぜ? 山東省で独逸と戦ったんだよ。てめえみてえな青白いガキとは違う」

「ふうん」

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